退職届を胸にあて

上京した事務員中田の生活就活オタ活ブログ

なぜそこまでして生きるのか

こんにちは。事務員中田です。

 

先日、入院している祖母のお見舞いに行ってきました。

祖母はもうすでに脳死状態で意識はありません。

祖母が倒れこの状態になってから

既に一年ほど経っていますが

私はこのお見舞いが初見舞いです。無慈悲ですね。

病院が札幌のはずれにあって

車を持たない私は札幌駅から50分くらいバスに乗るか

地下鉄とバスを乗り継いで行くかの二択で

なかなか…足が重かったのです。無慈悲ですね。

 

行ってみてまずビックリ。

どことは言いませんがその病院、いや病院の内装

めちゃくちゃ姫仕様。(そこかよ)

家具やら壁紙やらがなんかもう

プリティーでエレガンスなお城。

なんじゃここは。本当に病人のための施設か。

こんなところに脳死状態で入院している祖母

なんだかもったいないぞ!

私なら堪能したいよこの内装を!

…などと思いながら、迷路のような廊下を進み

たどり着いた病室。

3人のお婆さんと相部屋で、同じく脳死状態…かな?

という感じ。

皆さん管に繋がれて寝ている。

いや、起きてるのかもしれないけど。

瞬きはしているんですよね。

目はずっとつぶってますが。

週1?のペースで入浴したり

日々看護師が肌を拭いてくれているのでお肌が綺麗。

でも、筋肉の緩みでやや表情がだらしない。

お婆ちゃん〜来たよ〜と話しかけるも、もちろん無反応。

動けませんからね。

もし意識があって反応したくてもできませんね。

次第に

「なぜこの状態で延命治療を受け(させられ)ているんだろう」

って気持ちになってきます。無慈悲ですね。

お婆ちゃん、まだ生きたい?こんな状態で生きていたい?

そう心の中で問うてしまいますね。

私なら嫌よ。

こんな姿になって手間をかけさせるのなら

さっさと死にたい。

祖母は何もわかりませんから

機械と看護師と金に生かされるのみ。

生と死の判断は、自然と命が尽きるまで

家族に委ねられます。

叔父がそれを一任していますが

何でこんな高そうな病院で

お金かけて延命治療してるのかな〜って

やや疑問。無慈悲ですね。

母曰く祖母の年金で入院費は賄えるんじゃない、とのこと。

死んだ父の遺族年金より高いらしい。

それを聞いてピンと来た。

周りのお婆ちゃんたちも同様、

家族はなぜそこまでして生かす。

高齢社会。

年金。

医療費。

誰がはろてるとおもてんねん。

さては、入院費(延命治療費)より年金の方が高いな?

余った金を叔父の懐に入れてるんだな!?

ああ、無慈悲な考えですね。いや、私がね?

年金払ってんの、若者なんだから…やめてよ。

そういうの。(無慈悲!!)

でも、そうすると逆に祖母の"生きる意味"が生まれます。

こうやって生きていることで息子の生活の足しになる。

立派な生きる意味ですよ。

ただ管に繋がれて

無理やり息をさせられているだけじゃない。

そう思うことにしました。無慈悲だけど。

 

その日の夜

高学歴ニートと古館伊知郎のバトルをテレビでチラッと見ました。

高学歴ニートよりも

お婆ちゃんの方がよっぽど

生きる意味を全うしているんじゃないかと思いました。